- キーワード:小泉節子
- トレンド発生時刻:2026年03月25日 07:40
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NHK連続テレビ小説「ばけばけ」が2026年3月27日(金)に最終回を迎えるのを目前に、ドラマの主人公モデルである小泉節子(セツ)への検索が急上昇しています。
「ばけばけ」は2025年9月29日に放送を開始し、約半年にわたって視聴者を魅了してきた作品です。
ドラマでは髙石あかりが「松野トキ」役(セツのモデル)、トミー・バストウが「レフカダ・ヘブン」役(小泉八雲のモデル)を演じており、最終週のクライマックスに向けて、実在のモデル人物の生涯に迫る記事が複数メディアで一斉に掲載されています。
没落士族の娘・小泉セツの出自
小泉セツは慶応4年(1868年)2月4日、島根県松江市南田町に生まれました。
父・小泉湊は松江藩士、母・チエは松江藩家老職・塩見家の娘であり、セツは二人の次女です。
生家の小泉家は松江藩に代々仕え、禄高三百石の「上士」と呼ばれる由緒ある家柄でした。
しかしセツは生後わずか7日目に、松江市内中原町に住む稲垣金十郎・トミ夫妻の養女となります。
稲垣家は小泉家の遠戚にあたり、子がなかったため「小泉家に次に子どもが生まれたら稲垣家の養子とする」という約束がセツの誕生以前から交わされていました。
稲垣家の禄高は百石の「並士」であり、格式の高い家に生まれたセツを養父母は「オジョ(お嬢)」と呼んで大切に育てました。
八雲との東京生活と「住む家」をめぐる葛藤
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は都会の喧噪を嫌い、終の棲家はできれば松江、妥協しても神戸と考えていました。
それでも東京に移住した理由は、セツが東京暮らしに憧れていたことと、東京帝国大学からの月給400円という高給でした。
八雲が東京で最初に住んだのは、牛込区市谷富久町(現在の新宿区富久町)です。
大学が用意した小石川の官舎を断り、あえて大学から遠い家を求めた結果たどり着いた場所でした。
現在の成女学園の門前にあたるその家の近くには、「ふし寺」または「瘤(こぶ)寺」とも呼ばれる古刹・鎮護山圓融寺自證院があり、うっそうと木が茂り墓地も点在する環境を八雲は気に入ったとされています。
八雲は1904年に豊多摩郡大久保村大字西大久保(現在の新宿区大久保1丁目)の自宅で死去しており、東京での生活は8年あまりに及びました。
東京帝大解雇の危機とセツの泰然とした姿
八雲は東京帝国大学から年俸約800円(現在の人件費換算で約1億9200万円相当)を受け取っていました。
しかし、ロシアとの緊張の高まりによる軍事費膨張のあおりで文教予算が大幅に削減され、お雇い外国人への高額給与が維持できなくなったことで解雇が決定されます。
解雇の通告は事務的な文書一通で突然送られてきたもので、不義理を嫌う八雲は激怒し、大学との交渉を一切拒否しました。
この危機的状況にもかかわらず、セツは長男・一雄に対して落ち着いた様子でこう語りかけています。
「パパ様は今度帝国大学の方をお止めなさることになりました。パパ様のことだから私達が食べられないで困るようなことはなさらないだろうけれど、何分普請をした後ではあり、今までよりは収入もずっと減るのですから、お前もそのつもりで我儘をいってはいけませんヨ」(『父「八雲」を憶う』より)
不安を見せず悠然と構えるその姿は、幾度もの危機を乗り越えてきた経験からくる自信の表れでもありました。
『怪談』誕生を支えた10年以上の共同作業
大学の講師を辞めた八雲は書斎にこもって執筆する時間が増え、それを手伝うセツの仕事もまた増えていきました。
セツが担った役割は具体的で、献身的なものでした。
- 神田や浅草などの古書店をめぐり、妖怪や怪談に関する古い文献を探し回る
- 手に入れた本の内容を八雲に語って聞かせる
- 八雲がそれを物語に仕上げるという共同作業を10年以上にわたって継続
この地道な共同作業が、世界的名作『怪談』をはじめとする数々の作品を生み出す原動力となりました。
朝ドラ「ばけばけ」の最終回を前に、小泉八雲の創作活動を陰で支え続けたセツの存在が改めて脚光を浴びています。
没落士族の娘として生まれ、養女として育ち、異国の作家と出会い、日本文学史に残る名作の誕生に深く関わった小泉節子の生涯は、ドラマ以上にドラマチックなものだったといえるでしょう。
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